ケープタウン

2013年のフランスの映画。

舞台は現代の南アフリカ共和国ケープタウン

原題はZulu。南アフリカの民族のズール人のことである。

物語は二人の刑事を中心に展開する。

ブライアンとアリである。

ブライアンは父親がアパルトヘイト賛同者であったため、家を出た過去を持つ刑事。

この手の映画の常道というべきか、警察署長から嫌われているが優秀である。

アリはブライアンの上司である。彼は子供のころ、虐殺で父親を殺される。

母親と二人で生き残ることができたが、心と体に傷を負う。

 

人種差別の問題がまだまだ生々しい記憶として存在する国としての特殊性があちこちに出てくる。それだけ社会の闇が深いように思える。

 

ブライアンとアリの所属する警察の管轄区域で、ホームレスの子供がたくさん行方不明になっている。そんなある日、少女の撲殺遺体が発見される。

レイプ殺人が疑われる事件であったが、物語は意外な方向に展開する。

殺人、麻薬、人種差別と繋がった線はアリとブライアンの人生を変えていく。

ストーリーが骨太であり、見る者を先へ先へと引っ張っていく。ストーリーに夢中になっている間に終わりが来る感じであった。

見終わるってはじめて色々と考えた。

 人間というものは、時として、本人も思ってもみない行動をとることがある。狂気と正気は紙一重かもしれない。これが恐ろしくもあり、悲しくもある。

 

衝撃的なシーンが比較的多く出る映画なので、その種のシーンがNGの方にはお薦めできない。

 

ブライアン役のオーランド・ブルームがいい。いかにも社会生活に適用できそうもない、自分の気持を素直に出せない刑事をうまく演じている。別れた妻に未練があるが素直になれない男を好演している。ある程度年齢を重ねた男というものはこういうものなのであろう。

 

 

 

 

 

シャンボンの背中

2009年のフランス映画。

 原題はMademoiselle Chambon

舞台はフランスの田舎町。

そこに暮らす普通の夫婦、ジャンとアンヌ・マリー。彼らには一人息子がいる。

最初のシーンは家族そろってのピクニック。

ここで、この夫婦が上流階級でなく、インテリでもないことがさりげなく観客に示される。

また、夫婦それぞれの性格も表現されている。

妻のアンヌ・マリーが背中を痛める。この出来事から物語が動き始める。

小学校に息子を迎えに行くジャン。そこには代用教員のシャンボンがいた。彼女からジャンの仕事について生徒に話をしてほしいと依頼され、引き受ける。ジャンは大工であることが観客にわかる。

さらに、ジャンはシャンボンの下宿の窓枠を直すことに。

 

ジャンがシャンボンの窓枠を直す日のシーンがすばらしい。

大上段に振りかぶることなく、淡々と、しかし、丁寧に描かれている。

作業をするジャン。作業を終わりを、別の部屋で仕事を片付けつつ待つシャンボン。

シャンボンがいる部屋のドアはきっちり締められている。

互いに親しくなりたいけど、切り出せない場面が続く。

やがて、作業を終了してジャンがシャンボンを呼びに行くとドアが少し開いていて、シャンボンは眠っている。

この日、二人の間にこれといった大きな事件はない。

CDの貸し借り、バイオリンの演奏が互いを理解しあうのに役立つ。

何か事件によって二人の心が変化するのではなく、互いの人生や人柄を知るにつれて互いを意識するようになるという感じである。

こうして少しずつ、ゆっくりと話が進むのがリアルだ。別れか破滅か。終章への展開をあれこれ予想する余裕がある。

ジャンの父親の誕生会でシャンボンはバイオリンを演奏する。

ジャンがシャンボンを見る目を見たアンヌ・マリーは何かを感じる。だが、・・・

こうしてジャンとシャンボンの恋は最終局面へ向かって進む。

 

話の展開はありきたりかもしれないが、見ている間にありきたりと思うことはなかった。最後の展開は予想外の部分もあったが、現実はこんなものかもしれない。

 

単純なハッピーエンドにはならないところがフランス映画だね。

 

 

 

青春パート2

1979年のATG映画である。

1979年という時代はイラン革命サッチャーさんが首相になり、ソ連がアフガンに侵攻した年。

舞台は佐世保。街の主要産業である造船が不況となっていた。それは、この映画にも影を落としている。

主人公の有馬は高校生である。だが、これが高校生には見えない。最大限譲って大学生にみえる。

一本気な性格である。したがって、人とぶつかったり、誤解されたりする。

その彼が挫折しながらも競輪選手になり、壁にぶつかりながらも人生を切り開いてゆく物語である。

と書くと、壮大な映画のように思えるが、そんなことはない。感動的でもない。

主人公の生き方に賛同できるかと言えば、「NO」である。

映画として面白いかと言えば無理がある。ぐんぐんのめり込んでいける映画ではない。と思う。

詰まらないかと言えばそれほどひどいわけでもない。それなりに見所もある。

少なくともあの時代を生きてきた人間にとっては、ある種の懐かしさもある。

出演者にも、あの頃を感じさせる人がいる。

あの時代を知らない人にとって面白いとは思えない。

携帯電話もパソコンもない時代の映画であり、でも、ちょっと頑張れば車を手に入れることができた時代。

そんな時代の映画である。

この映画に舟木一夫が塾の講師役で出演しているが、彼が計算尺を使って計算しているのが妙に懐かしい。

無宿(やどなし)

1974年公開の映画である。

映画を作る人達には、男の友情というテーマが最重要テーマなのかもしれない。
男と女の愛や家族愛などよりも思い入れがあるのかもしれない。
「そんなことはない。男と女の愛を描くほうがの圧倒的に多い。」
そう反論されるだろう。まったくその通りである。だが、
『真夜中のカウボーイ』、『スケアクロウ』、『ボルサリーノ』などがあるのも事実ではある。

この作品は『冒険者たち』をモチーフに作られたそうである。
二人の男と一人の女。男と男の間には友情がある。三人には奇妙ともいっていい三角関係が形作られている。
二人の男を高倉健勝新太郎が演じ、女を梶芽衣子が演じている。

高倉は後年『あうん』で同じような関係を演じている。

さて、この作品では勝が大熱演である。セリフもほとんど勝が演しゃべっている。汗を流し、舟をこぎ、海に入る。殴られ、飯をかっくらい、女を背負って歩く。
一方で勝特有のやんちゃっぽい演技も随所にみせる。

高倉はほとんどしゃべらない。特に前半は顕著である。ゆえに、後半でしゃべるシーンが印象深くなっている。

梶は、美しい。特に日傘をもっているシーンでは一段と映えている。

一時期、日本映画はこんなカメラアングルで撮っていたことを思い出させてくれた映画である。

野性の証明

1979年の映画である。

人に定めというものがあるとすれば、味沢(高倉健)が自衛隊に入ったときから、長井頼子(薬師丸ひろ子)の面倒をみることは運命づけられていることになる。

頼子の住む村で大量殺戮が起こった。頼子の両親は殺され、村で、頼子だけが生き残った。頼子は殺戮の状況を見ていた。それゆえに、ショックで記憶が消えていた。

一方、この村の近くで自衛隊の特殊部隊が演習をしていた。この部隊に味沢はいる。村の殺戮に味沢はどう関係しているのであろうか。

 

 東北に羽代という町があることになっている。この町は大場という男に牛耳られている。

一年が過ぎた。

この町に味沢は住んでいた。生命保険の調査員をしている。頼子もいっしょである。

保険の調査の関係で大場と繋がっているヤクザの組長とトラブルになった。こうして話はすすんでゆくのだが、映画の見所は何と言っても薬師丸ひろ子の可愛さであろう。

この映画以降、角川映画の顔になっていったのも、何ら不思議がないのである。

招かれざる客

1967年のアメリカ映画です。

1967年という年は7月23日にデトロイトで黒人暴動が起こっている。

そんな時代の出来事であった。

 

ある日、白人夫婦の娘が恋人を連れて帰って来る。恋人は黒人である。

「父も母もわかってくれる。」

娘は信じている。恋人は不安に思っているが、娘の方は頓着しない。両親に堂々と紹介し、結婚するつもりであると言う。

娘の父親は新聞社の社主である。常々リベラルな発言をしているらしい。娘の教育も人を差別するなと言ってきている。娘は両親の言う通りに育ってきた。

「困った」

父親は思った。

「結婚を認めるわけにはいかない。」

とは簡単に言うことはできない。娘の恋人は相手としては申し分のない人物である。

ただ一点を除けば。

その一点を理由に結婚を承諾しないといえば、娘にこれまで言っていたことは嘘だということになる。

 

現実を見通している母親はすでに娘の味方になりつつある。父親だけが現実を受け入れきっていない。

これまでの自分の考えからどう言うべきかを父親は知っている。

「結婚を許す」

そう言えばいい。だが、父親として言えない。娘が苦労するとわかっていることを認めることができるわけない。

 

イエスも言えない。ノーも言えない。だから、必要以上にいらつく。当り散らす。

はたから見れば分からず屋の父親に過ぎない。それも分かるからさらにイライラする。

 

この父親をスペンサー・トレーシーがうまく演じてる。妻役はキャサリン・ヘップバーン。この二人の演技をみるだけでも価値のある映画である。

映画自体はこんな単純な話ではない。父親の友人、娘の友人、恋人の両親、娘の家のメイドなどがそれぞれの役割を果たし、話を複雑に、現実的にしている。

 

女子ーズ

2014年公開の桐谷美玲主演の映画です。
監督は福田雄一さん。この人『勇者ヨシヒコと魔王の城』というテレビドラマを撮っています。というわけで、このドラマを思い出させるようなシーンが多くあります。桐谷さんたちが演ずる女子ーズが怪人と戦うシーン。佐藤二朗さん演ずる男が女子ーズに指令を出すシーンなど。
また、全体を覆う緩さ。戦隊ものは必死に戦うのが王道。でもこの映画では5人の隊員が揃わず電話で呼び出したり、移動は走り、タクシー、電車など人力中心だったりと、脱力的。
コミカルな中にも、友情、人生、恋、仕事など人生がちりばめられています。
演者が好きな人。監督が意図とする“緩さ”を受け入れることのできる人には楽しめる映画です。