招かれざる客

1967年のアメリカ映画です。

1967年という年は7月23日にデトロイトで黒人暴動が起こっている。

そんな時代の出来事であった。

 

ある日、白人夫婦の娘が恋人を連れて帰って来る。恋人は黒人である。

「父も母もわかってくれる。」

娘は信じている。恋人は不安に思っているが、娘の方は頓着しない。両親に堂々と紹介し、結婚するつもりであると言う。

娘の父親は新聞社の社主である。常々リベラルな発言をしているらしい。娘の教育も人を差別するなと言ってきている。娘は両親の言う通りに育ってきた。

「困った」

父親は思った。

「結婚を認めるわけにはいかない。」

とは簡単に言うことはできない。娘の恋人は相手としては申し分のない人物である。

ただ一点を除けば。

その一点を理由に結婚を承諾しないといえば、娘にこれまで言っていたことは嘘だということになる。

 

現実を見通している母親はすでに娘の味方になりつつある。父親だけが現実を受け入れきっていない。

これまでの自分の考えからどう言うべきかを父親は知っている。

「結婚を許す」

そう言えばいい。だが、父親として言えない。娘が苦労するとわかっていることを認めることができるわけない。

 

イエスも言えない。ノーも言えない。だから、必要以上にいらつく。当り散らす。

はたから見れば分からず屋の父親に過ぎない。それも分かるからさらにイライラする。

 

この父親をスペンサー・トレーシーがうまく演じてる。妻役はキャサリン・ヘップバーン。この二人の演技をみるだけでも価値のある映画である。

映画自体はこんな単純な話ではない。父親の友人、娘の友人、恋人の両親、娘の家のメイドなどがそれぞれの役割を果たし、話を複雑に、現実的にしている。