悪魔の手毬唄
世の中には、名作といわれているわけではなく、観て感動したわけでもなくても、何回か観てしまう映画というものがあるように思う。
私にとっては、この作品もその一つである。
そもそも、この作品をよく観るのは自分の学生時代に繋がっているからかもしれない。
角川映画で作られた作品をよく観た。
当時の流行であったからである。若い時代というものは流行に後れるとなんだか人格さえも否定されるように思うものである。
年齢を重ねていけば、流行を追うことがあまり重要でないことがわかってくる。
もっとも、私が愚かであるから若いうちから分からなかったのかもしれない。
さて、この作品は老婆がカギを握る。また、原作者の横溝正史が得意な数え唄の類もカギを握る。
例によって金田一は犯人の意図とした殺人がほぼ終了するまで、解決できない。まあ、それは原作がそうであるから映画の責任ではない。
今から考えると贅沢な俳優を使っていた。公開当時、「豪華俳優の・・・・」といった宣伝文句を聞いた覚えはない。が、それは私の記憶違いかもしれない。
まず、岸恵子。この人の演技が光っている。事件の概要が分かるとまた違った感覚で観ることができる。
「あ~この表情はそういう意味だったのか」と思うことができる。いい役者さんの演技にはひとつひとつ意味があるのだなぁと改めて思う。
そして中村伸郎、辰巳竜太郎、草笛光子、白石加代子、渡辺美佐子、三木のり平、山岡久乃、若山富三郎らの演技もいい。
そして、仁科明子。きれいでした。
映画を観るときは誰が犯人であるかは知っていた。それでも、ストーリーで飽きるという感じはしない。結末が分かっていても観てしまうミステリー映画である。
そういった映画が昭和の作品に多いのはこちらが年をとったということであろうか。
(文中 敬称略)